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オーガニックワイン専門店マヴィ設立以来のこと1

このページは、マヴィ店主・田村安が2008年に執筆したオーガニックワインへのこだわり、現地買い付けの際のこぼれ話、イベントのご案内などを当時のまま掲載しております。

マヴィ設立直前から、これから先の未来までを語る連載コラム。かなりユニークな道を歩んできた店主とマヴィの取り組みや想いが綴られています。

店主プロフィール店主のブログ


フランス駐在時代

1998年3月3日、私は日本初のオーガニックワイン専門インポーターであるマヴィを設立しました。当時、世の中にはバブル崩壊後の不景気嵐が吹き荒れていました。さらにワイン業界ではポリフェノール効果に沸いた赤ワインブームが終わるところで、需要と供給のバランスが崩れて供給過多、市場には世界中からかき集められた雑多なワインが売れずに店頭山積みされて値崩れ状態という、最悪の環境での起業でした。
食品メーカーの海外部門から、ヨーロッパ駐在員としてドイツとフランスで10年間海外生活をしておりましたので、国内の事情はまったく知らず、今から思えば無謀な旗上げとしかいいようがありません。しかし何も知らないというのは強いものです。まず会社設立のハウツー本を買ってきて、黄色マーカーと付箋を使いまくって手続きを勉強、行政書士なんていうものも知らず、とにかく役所に出向いて不明点を質問していく内にどうにかクリアして会社設立に漕ぎ着けました。

駐在員時代、私はしょうゆという調味料を、フランスを頂点とする世界の料理界で認めてもらうためのマーケティング活動をやっていました。頂点に認知されればおのずと下々に普及するだろうという考えでした。つまりミシュランガイドブックで3つ星を取る超一流レストランのシェフたちに、「私はしょうゆをこういうふうに使っています」と言ってもらうことがタスクだったのです。1980年代初頭ジョエル・ロブションやアラン・サンドランスたちが相次いで来日して会席料理を持ち帰り、ヌーベルキュイジーヌ(新料理)というジャンルを築き、ミシュラン3つ星に輝いたのですが、彼らは本国では決して「しょうゆを使っています」とは言わなかったのです。あくまでも厨房の奥で「隠し味」として使っていたのです。いわば厨房の秘密です。フランス料理は世界の頂点であるという自負心は強烈なものがあります。日本のしょうゆがフランス料理の基本味付けとなるというのは、断じて許されざることだったのでしょう。

まずは公的なお墨付きをもらうことです。日本と違いフランスではフランス料理は文化として位置付けられていて、プロの料理人やサービスマン、レストラン経営に関する教育は文部省が管轄して、公立の職業学校で行なわれています。ここにしょうゆが採用されれば政府公認でフランス料理の世界に入れます。とは言っても右も左も分からないパリで、職業学校へのつても無かった訳ですから、しばらく手が出せずにいたのですが、たまたまパリのフランス料理上級学校(日本の高専に相当)ソムリエ・レストラン経営学教授のジェラール・ボアソー先生と知り合いになれたのです。フランス中のソムリエが勉強する教科書を執筆している程の大教授で、またソムリエコンクールを日本に持ち込んだ人でもある、たびたび来日して日本中で仕事をしてきたという経歴の親日家。フランス料理の知識はもちろんプロ、そのうえ和食大好きで自分でもしょうゆをいろいろな使い方で試している、まさにうってつけの出会いでした。彼の全面的な協力で職業学校生徒を対象に、しょうゆを使ったオリジナルレシピコンテストを仕掛けてみました。
1等賞はJALに頼んで日本招待、料亭での短期修行付です。審査員はボアソー先生の教授仲間にお願いして著名な先生がずらっと並び、伝手で現役のミシュラン星付きシェフや首相官邸のシェフまで加わってくれました。そのうえ偶然知り合ったフランス文部省の担当課長に話したところ、「生徒を日本に連れて行ってもらえるのは、その子の将来にとって素晴らしいチャンスになる」と喜んで、文部省準公認コンテストとしてくれたのです。フランス全土の職業学校へ案内を出し、各校代表の優秀な生徒たちが競い合う場で入賞すればとても名誉なこと、それぞれ指導教官も付いて来ます。こうしてこのコンテストはフランス料理教育界での大イベントとなり、大成功。毎年繰り返す内に大物シェフたちもしょうゆを使っていることを人前でしゃべるようになり、フランス料理界はしょうゆを公認したのです。

私はこれを見届けて退職、帰国したのですが、ワインインポーターを始めるにあたり、最初に思ったのはボアソー教授のことです。誠実な人柄で知己が多く、ワインの特性に精通しています。ボアソー先生の確かな舌で最高のワインを選べば間違いないだろうと、お願いしてみました。彼は二つ返事で了承してくれ、すぐに二人でオーガニックワイン探しを始めました。

ところがボアソー先生にとってもオーガニックワイン界は情報が少なく、どこに生産者がいるのかということもはっきりわかりません。つまり一般のワインとは隔絶した流通だということです。それでもちょっとずつ情報が入ってきて、会社設立を間近に控えた2月、ボアソー先生がオーガニックワイン生産者大会がモンペリエで開かれると知らせてくれ、即出掛けることにしました。当時、オーガニックワインに関する情報はほとんど出回っておらず、藁をもすがる気で参加を決めました。


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マヴィ設立

生産者大会「ミレジム ビオ」はラングドック・ルーション地方のオーガニック生産者が催す小規模の見本市で、体育館のような会場に30軒程の農家が会議机を置き、前年秋に仕込んだ新酒を並べていました。今のミレジムビオからは想像も付かないほどにこじんまりしており、来訪者はドイツ人が多く、ほとんど顔見知りという雰囲気でした。

とにかくボアソー先生と2人で全ワインを2日かけて全て試飲、玉石混交、正直レベルが低いと感じました。最初はオーガニックワインならば何でもいいとさえ思っていたのですが、とんでもないことだと気付き、間違えて「石」を拾ったら大変なことになるので、「玉」を探すことに専念しました。そしてようやくこれはと思う5軒の農家から仕入れることを決めました。

また、別ルートで見つけて直接訪問した、ボルドーとブルゴーニュと南西フランスの3軒を加えてどうにか8農家のワインでスタートすることに決めました。

次は酒販免許!ワインを輸入販売するには必須なのですが、私は酒屋の息子ではないのでそもそも酒販免許がなく、いわば利権みたいなもので、そうたやすく出るものではないからどこかの名義を買おうかなどと悩んで税務署に相談に行ったところ、なんと申請すれば出してくれるというのです!ただし、酒販免許基準緩和以前であり、資格は厳しく、揃える書類も膨大な量でした。その資格の中に人的要件といって、私が信用できる人物であること、酒を扱う職歴が長くて職務に熟知していることなどを示さなければいけません。ここで以前勤めていた食品メーカーがワインやみりんという酒類を製造販売していたことが役立ちました。しょうゆの国際マーケティングという、酒販とは無縁な仕事しかしていなかったにもかかわらず、酒販経験年数として認めてもらえたのです。

こうして無駄なコストをかけず、自力で無事に自己輸入ワイン通信販売免許を取得して幸先のよいスタートを切ったのですが、商売はそんな甘いものではありません。肝心の売り先がなかったのです。そもそも条件付酒販免許で売り先を通信販売に限定していたこともあり、料飲店や酒販店に卸売りできなかったのですが、当時はまだADSLや光といったインターネット常時接続が普及しておらず、通信販売で生きるということは、元になる顧客層をもっていなければならなかったのです。顧客層への通信手段は郵便のDMや申し込みハガキ、回収率はよくても数%と低いため、宣伝やPRのための充分な資金があるか、多くの会員を持つ団体でもなければ、消費者に直接働きかけることは極めて困難です。しかもオーガニックワインなどという、これまで聞いたこともなかった商品を通信販売で注文してくれるという奇特な方はなかなかおらず、友人知人の伝手で紹介するしか方法がなく、はっきり言って全然売れません。

合成保存料や香料を使わないワインは、10℃から19℃の間で温度管理をしないと品質が劣化して不味くなります。よく「オーガニックワインは不味い」と言われますが、劣化して不味くなってから飲めば不味いのが当たり前です。通常、ワインは店先で温度管理せずに陳列販売されています。本場のヨーロッパでは室温が年間を通してだいたい10度台なので、これで構わないのですが、日本の場合2~30度台と高く、とても持ちません。そのうえ海上輸送では4~50℃の熱帯を1ヶ月近く通って来るため、高温でも耐えられる強さが要求されます。そこで体には優しくない合成保存料や香料、調味補正剤といった添加物を使うことになります。残念なことに日本ではそういうワイン以外売っていなかったのですから、消費者はみな、「ワインの味とはそういうものだ」と誤解しています。なので自分をワイン通と思っている方からはよく「マヴィのオーガニックワインは物足りない」とも言われました。ワイン通ほど、実はうんちくと濃い味や香り付けでごまかされているのでしょう。こんな添加物を使わないオーガニックワインはきちんと温度管理をしないと壊れてしまうので、冷蔵コンテナで海上輸送、国内でも定温倉庫で保管するしかなく、そのコストは一般ワインの3~5倍にもなります。持ってくるだけ、置いてあるだけでもコストがかさみ、しかも売れないのですから収支は火の車、自分の給料が出ないのみならず、周囲から借金をして大赤字を補填するしかないという日々でした。

そしてヨーロッパから持ち帰った愛車も売り払い、生活費に充てていた資金も底をつき、いよいよだめかと思ったときに、光明が表れました。平成フードサービスという大型居酒屋とファミリーレストランチェーンをオーガニックで運営しよう、としている会社がオーガニックワインを探しており、たまたまマヴィを見つけてくれたのです。当時この会社を切り盛りしていた武内副社長はマヴィの品揃えと品質に驚かれ、採用を即決してくれました。

ところが卸売り免許がありません。赤字会社だし難しいだろうと案じつつ税務署に再度相談に行き、事情を話したところ、売り先条件を緩和して卸売りできるように取り計らってくれたのです。すでに免許を持っている業者が事業拡大のために免許条件を緩和してもらうというのは、税務署にとって問題なくむしろ喜ばしいことだったのです。

こうして通販以外の卸売りという販路が加わり、ようやく安定収入が確保されました。売上の8割をこのチェーンが売ってくれるのですから、フランスのオーガニック農家との関係をしっかりとして、仕入れさえ切らさないようにすればよいだけです。そこで新たな供給先を一気に増やし、年間計画を作ってたっぷりとワインを買い付けました。

平成フードサービスにはオーガニック系食材供給業者がたくさん集まっていましたが、ここで共働学舎の宮島さんや興農ファームの本田さんに出会ったことは大きな収穫ですし、全共闘学生運動を経て有機農業へ関わった人が多いということを知ったのもこの頃でした。JAS有機農産物認証制度が始まる前で国内では関係者たちの間で議論がされており、外国のオーガニックへの敵意もかなり強く感じました。起業の際、「オーガニックワイン専門で」と言うと、食品業界の友人たちから一様にやめておくように言われていたのです。最初は意味がよくわからなかったのですが、「こういうことか」と納得しました。

その後、平成フードサービスは儲からないオーガニック路線から撤収、武内さんはワタミに移りました。マヴィは安定した大口顧客を失い、倉庫には見込み仕入れをした在庫ワインが山と積まれ、そのうえ生産者の元にも仕入れを約束した1年分のワインが溜まって、まさに倒産の危機に直面しました。しかし幸いにも平成不況の真っ只中で、ちょうど小渕内閣が打ち出したセーフティーネット政府緊急融資を受けて、土俵際の福俵に片足で踏みとどまることができました。1社の大顧客に頼る経営がどれだけ危険なことかを学び、以降はチェーンとの取引を可能な限り避けることにしています。


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EUOFA設立

1999年9月、フランス大使館よりお声がけをいただき、福岡の食品展示会でオーガニックワインのブースを出していたところ、有機農産物認証団体の役員と名乗る人が来て、「有機JAS制度ができたら外国のオーガニックは輸入できなくなるぞ、今さら外国のオーガニックを紹介したって無駄だ!」と、大変な剣幕でまくし立てたのです。私もかっとなり「世界で最も進んだヨーロッパのオーガニックを締め出すというならやってみろ」と言い返しました。そして、東京に戻り一晩考えて早朝2時間でNPOヨーロッパオーガニック食品普及協会設立の企画書を書き上げました。ヨーロッパのオーガニック農業がいかに素晴らしいものであるか、また、ヨーロッパで長く運用され実績のあるEUオーガニック認証制度を、日本人に広く知ってもらおうというのが趣旨でした。

これを持って、まず旧知のフランス大使館のアラン・ヴェルディエ農務官を訪ね、協力をお願いしたところ大賛成、理事就任を快諾してくれて、発起人候補にと数社のオーガニック食品インポーターを紹介してくれました。これらの会社をまわり、経営者たちに説明したところ、誰もがこうした広報活動を必要と思っていたと、賛同してもらえました。そして10月にEU東京代表部の農務官会議にてプレゼンテーションを行い、ドイツ大使館のシュレーダー参事官とオーストリー大使館のハルトレープ商務官からは強い賛成表明をいただき、各国の農務官たちも支持してくれることになったので、12月6日にNPO設立総会を開催して、正式にヨーロッパオーガニック食品普及協会(EUOFA)(オーガニック協会)を発足させました。

当時NPOは法律ができて日が浅く、どんなものかがさっぱりわからなかったのですが、たまたま区役所に用事があり、待たされている間の時間つぶしに置いてあった新制度説明のパンフレットを読んでいたら、これは使えそう!と、ピンときて、すぐに都庁に問い合わせ、都庁地下の売店で申請の手引書を買って勉強。会社設立の時と同じようにわからないことは何でも質問。何も知らないのを恥ずかしがる必要はないし、お金もかからない。役所はそのために窓口を設けているのだから、必ず教えてくれます。

ヨーロッパでは1980年代に各国でオーガニック農業と食品に関する法律が出来て、それぞれの国でバラバラな対応がされていたのを、1991年にEUとしての共通基準を設けて、以降はひとつの認証制度として運用されています。つまり世界初の国際認証制度として機能しているのです。EUOFAではまずこの共通基準を翻訳して公表しました。残念ながらどこからも補助金がつかず、お金がないのでプロの翻訳家にお願いできず、結局、会員の中から数名の非常に優秀な女性たちがボランティアしてまとめてくれました。しかし結果として却って良かったのです。というのは、実務としてオーガニック製品に関わっていて、知識と経験があるため、プロ翻訳家が訳すよりも精度が高いものに仕上がったからです。実際、後日農水省のJAS有機認証制度導入担当官とやりあった際も、農水省が発注して翻訳したものよりも、正確な内容だと驚かれていた程です。ボランティアの凄さはこれです。個々人の意志と能力の高さをしっかり方向付けることで、税金をただ漫然と使うよりもいい仕事ができる。それがNPOの真骨頂でしょう。

EUOFA事務局をお願いしている長谷川さんはNPOの収入が足りないので、マヴィから出向しています。彼女は経営コンサルタント会社を退職後、フランスで料理修行をしたのですが、特にアルプス山中のオーガニック農家民宿で働いた経験が忘れられず、帰国後も毎年夏の3ヶ月はその農家民宿に働きに行くことをライフワークとしています。フランスの農家ですが、ヨーロッパ中からたくさんのバカンス客が長期滞在して、オーガニックな生活を満喫しているそうです。マヴィに入社の際も毎年3ヶ月のフランス行きというのが条件になっており、ヨーロッパと日本の架け橋を体現している人で、EUと各国の情報収集と翻訳という作業にはうってつけの優秀なスタッフです。

EUOFAの優秀なスタッフと優秀なボランティア、また農務官会議のメンバーのお陰で、私は思いついたことをどんどんやってきました。ヨーロッパは世界最高のオーガニック農業レベルを誇っていますが、国内市場もまた大きいので海外に向けて情報をあまり出してきておらず、特に日本の場合は日本語での資料が皆無だったので、ほとんど情報が入ってきません。輸入業者は輸出者が一方的に送ってくる断片的な、時には間違った情報を鵜呑みにして流すので、数多くの誤解が生まれています。そもそもオーガニックとはいったい何なのか、という基本的なことさえわからないままに、まるで象をなでて、触った範囲のみで感じたことをめいめい勝手に話すようなものです。このままでは何年経っても誤解が解けることはありえません。そこで、EU政府や各国の専門家が来日するたびに講演会を開催、生の情報を聞くようにしました。ちょうど有機JAS導入直前だったため多くのオーガニック専門家が来日するという幸運に恵まれ、EUOFAのオーガニック情報レベルは急激に高まっていきました。


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オーガニック認証制度

最初に焦点を当てたのは当時最もホットなテーマのオーガニック認証制度です。ヨーロッパではオーガニック農業を支える人々の中から、ホンモノとニセモノを見分けたいという要望が生まれ、遠くに住む消費者のために誰かが現地を調べて保証する、という認証制度が民間で生まれました。オーガニック農業は慣行農業よりも生産コストがかかります。化学肥料や農薬を使わないということは、単位収穫量が少なく、病虫害リスクが高く、手間がかかります。その分を消費者が高く支払うことで成り立っているのですから、ニセモノが出て不当な利益を得るようなことがあってはなりません。この民間認証制度を長く続けたことで、しっかりしたオーガニック生産者が育ち、ある程度の市場規模ができてから、公的な国家認証制度へと発展していきました。すでに1980年代終わりまでには国ごとの認証制度が整い、EU共通市場へと対応するための国際認証制度の基礎が確立していました。
ところが日本ではこのような民間活動がなかったのです。これには国民性の違いが大きいと思います。ヨーロッパ人(特に北の)は容易に他人の言を信用せず、確証を求めます。
なにしろ大陸国家というのは、隣町は言葉も通じない他民族国ということもあり、疑うことが当たり前です。一方日本人は他人の言うことを素直に信用しがちです。日本が海に囲まれた島国であり、日本人誰もが同じメンタリティーを共有していると思い込み、疑うということ自体が悪いことであるかのように錯覚しているからです。

そもそも食品の認証制度はユダヤ教から出たものでしょう。コーシャー認証といって、食べても良い食品を認証する制度があります。ラビと呼ばれる聖職者が生産現場を視察して、原料や加工作業がユダヤ教の戒律で禁じられているものではない、ということをしっかり確認してお墨付きを出します。調査は事が宗教ですのでとても厳密で、費用もかかりますが、生産者にとってお金持ちのユダヤ人は重要な顧客ですから、欧米社会、特にアメリカに広く普及しています。一般消費者にとってもコーシャー認証が付いているということでトレーサビリティーがしっかりしていることの証ともなり、多くの食品にこの認証マークが付いています。スーパーマーケットによってはリスティングの条件としているところもあるほどです。おそらくこの認証制度はユダヤ教会にとって、かなり大きな収入源となっているのではないかと思いますが…。

信用しないから認証制度が必要なので、信用することから始まる島国での村社会的な関係では不要なものです。ましてやオーガニックというものが理解されてもいない日本ではJAS有機認証制度の導入はあまりにも唐突すぎました。守るべきホンモノをしっかり持っているからニセモノを排除しなければならないのに、そうではない。それにヨーロッパのオーガニック認証制度を単に和訳しただけの、運用する役人や生産者、流通者たちさえ理解していない制度がなぜできなければならないのか、EUの制度やその運用状況を聞けば聞くほど、JAS有機認証制度は何かが間違っていると感じました。一言で言うと無用の枠組みとでもいうべきもの。

誤解を承知で例えるならば、高速道路ができる前の、誰も時速60km以上の速度を体験したことの無い国に、ドイツのアウトバーンでの時速200km以上走行のための運転規則を持ち込むようなものです。私は駐在中に何回も経験しましたが、追い越し車線を時速200kmで走行中に、はるか後方からヘッドライトを点滅させてさらに速い自動車が近づいてきます。ぼんやりしているとすぐ後ろにまで来てパッシングライトを浴びせられます。200kmの車は速やかに走行車線に戻らなければなりません。もし衝突した場合、非の半ばは避けなかった遅い車にあるとされます。実際、ポルシェやベンツは300kmの高速で走っていますから、まさに現実です。実はドイツ人の友人で自宅に招待してくれてオーガニック料理を初めて食べさせてくれた一家がいるのですが、アウトバーンを200km超で走行中に、よろよろと130km弱の低速で追い越し車線に不注意に出てきたオランダ人の車を避けられず衝突、後部座席の子供が亡くなったのです。しかし運転していた友人は重大な過失でも違反でもなく、処罰はありませんでした。また、市街地でも過失責任の規則は厳密です。日本人の子供が横断歩道の無い道路で飛び出して車にはねられ死亡したのですが、運転者はスピード違反もしておらず過失はゼロで処罰なし。飛び出した子供が過失100%ということで、亡くなった子供の親は壊れた自動車の損害も運転者への慰謝料も払わされたのです。日本ならばいずれの場合でも運転者は過失致死で処罰されますし、死亡した方が被害者となるでしょう。しかし規則に従っていて罰せられるというのでは法治社会とはいえません。この原則に厳密に従うのがドイツの契約型社会なのです。これに対し、日本の村社会では被害者がかわいそうだという思いが優先されます。なぜならみんな同族だから、いかなる理由でもその和を乱した、構成員を傷つけた側が悪いということになります。なによりも仲間内の和を大切にするのがムラ型メンタル社会なのです。

日本ではいわゆるグローバルルールではなくローカルルールが優先されてきました。スーパーマーケットの野菜売り場で、「**村のなんとかさんが作りました」と、顔写真入りで紹介されていると、つい信じて買ってしまいます。誰も調査をしておらず、農薬や化学肥料を使いまくっていてもわからないというのに!オーガニックルールを守って作りましたというより、顔の見えた方が安心するという消費者心理は村社会の感情に基づいているのです。したがって、ヨーロッパにおける歴史的な必然性と較べ、日本の場合JAS有機認証制度には合理的な意味を見出せませんでした。強いて言うならばJAS(日本農林規格)という農水省からの天下り先である特殊法人を存続させたいという勢力と、グローバルスタンダードを導入して農産物輸入自由化を滞りなく進めたいという勢力にだけは、大いに意味あることと思えてきますが…。


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>>>オーガニックワインについて


商品一覧:オーガニックワイン専門店マヴィ設立以来のこと1

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