メイエー家
メイエー家のプロフィール
フランス・アルザス
ドメーヌ ユージェーヌ メイエー
Domaine Eugene Meyer
1969年から(認証は1980年4月デメター・1991年ECOCERT)
1620年来、親から子へと引き継いでこられた家族経営のワイン生産農家。1969年からビオディナミ農法を実践。アルザス品種の特徴を生かした、香り高く繊細で気品溢れるワインは、各誌での評価も非常に高い。
メイエー家の詳しい情報
【オーガニック歴】1969年から(認証は1980年4月デメター・1991年ECOCERT)
1620年来、親から子へと引き継いでこられた家族経営のワイン生産農家。1969年からビオディナミ農法を実践。アルザス品種の特徴を生かした、香り高く繊細で気品溢れるワインは、各誌での評価も非常に高い。
- 生産者訪問ツアーレポート【2017年6月】
- (ブログ)スタッフの訪問記【2008年6月】-1
- (ブログ)スタッフの訪問記【2008年6月】-2
- スタッフの訪問記【2006年7月】
- アルザスの魅力(コラム)
家族経営の名門農家
ドメーヌ ユージェーヌ メイエーは1620年創業以来、家族経営で親から子へと引き継いでこられたワイン生産農家です。アルザスでも南方に位置するBergholtz(ベルゴルツ)村にあります。ベルゴルツ村は、AOCアルザス グラン クリュを産することができる限られた51区画のうちの1つです。スイス国境のバーゼル空港からは、車で1時間足らずで着きます。農場は、かつてミュルバッハ修道院の所領でしたが、フランス革命の後にメイエー家が買い取りました。
メイエー家のグランクリュはスピーゲル(ドイツ語で「鏡」)です。これは丘の、一番高いところでも低いところでもない、中腹にあります。
美しい畑
メイエー父子、ワイン講座をするマダム メイエー
ライン川に沿う岡の中腹に位置するぶどう畑は、全て南東に面しています。日射、水はけが申し分なく、根も深く張りすばらしい果実を実らせます。それによってボディがしっかりとし、かつフルーティな、おいしいワインを生産しています。
わずか9haの畑から採れる、本当に希少なワインです。
農薬中毒からオーガニック転換へ
メイエーさんは戦後一旦は化学農業を取り入れましたが、農薬の中毒によって視神経が麻痺するという深刻な体験を通じて 1969年にオーガニック転換しました。そしてオーガニック農法の中でも当時異端視されていたビオディナミ農法によって、自分の畑を耕していこうと決めたのです。ビオディナミ農法というのは、シュタイナー教育で知られるオーストリアの思想家ルドルフ シュタイナーが提唱した自然生活哲学に基づく農法です。
メイエーさんによると、生命と大地への敬意を払うという原理に基づきホメオパシーを基礎とする土作りで、土壌の活性化を促し、乱されてしまっていた自然の均衡を再現します。こうして、ぶどうの木の抵抗力を高め、病気から守りつつ、土壌を肥やすことで、化学合成物質をすべて取り除くことができました。
土壌を肥沃化するために、6つの薬用植物によって力を与えられた堆肥を使用します。これらの植物によって、堆肥に含まれるあらゆる肥沃化成分が強化されると云います。
土作りにはさらに2つのものを使います。1つは牛の角を基としたもので、もうひとつは石英から作られます。それらを土壌とぶどうの木に撒くのです。これら2つの物質は特に、成長に大きく影響し、ぶどうの木の抵抗力を強化し、健康状態を改善します。また、スギナを煎じた液体や、イラクサを水に浸したものを撒くことで、病気から守っています。
収穫は完全に手摘みで、醸造はぶどうの表皮に住む天然酵母によります。
メイエーさんの農法がシュタイナー理論に適合していることは、国際的認証団体のデメターが認定しています。 1980年4月、フランスにデメターが創設されたと同時に認証を取得た、生え抜きの一人です。そして1991年からはEUのオーガニック基準に従って、ECOCERTの検査・認証を受けています。オーガニックと称するには公的認証が必要であり、詐称には厳しい罰則があります。
ただ、近年、ビオワインや自然派ワインと称して何の認証も無い生産者が「ビオディナミをしています」と宣伝文句としていることが多々あります。これをメイエーさんにどう思うかと問うたところ、彼はビオディナミの認証は法律によるものではなく詐称しても罰則はないし、常にお金のことしか考えられない人達がたくさんいるということを腹立たしげに話してくれました。
ビオディナミ農法は、オーガニック農法の一分野と位置づけられています。つまり、ビオディナミ農法の要件を満たしていれば、その農法はオーガニックであると言えます。EUではオーガニック認証制度が確立しており、さらに、農家に対する資金援助も充実しています。きちんと検査に合格し、認証をとることは当然なのです。 EUでは、狂牛病(BSE)以後、Traceability(追跡可能性。食べ物がどこでどうつくられ、どこから来たのかという食べ物の「履歴書」)がとても重要なことであり、その履歴書を公的に保証するものであるオーガニック認証は、生産者の消費者に対する責任の一つであると考えられています。
取れるはずの認証を取らないということは、きちんと実行していなくとも、「ビオディナミをしています」と言って、消費者が本当かどうかを確認できない状態で、良さそうなイメージを看板に使っている恐れがあります。ビオディナミに法律の規定や罰則がないことを悪用している人達が残念ながらかなり存在しているのです。そして大部分が認証制度の確立していない日本へと輸出されます。
メイエー家の畑
メイエーさんは、シルヴァネール、ピノ ブラン、リースリング、ミュスカ ダルザス、トケイ ピノ グリ、ゲヴェルツトラミネール、ピノ ノワール、以上7つのアルザスAOCセパージュ(品種)を造っています。 全体にすばらしい、よく切れのあるワインばかりです。畑の一部はグランクリュ(特級)格付けがあり、極めて力強く、かつ洗練されたワインを少量造っています。
レポート:2005年7月(マヴィ代表田村)
スタッフの訪問記【2006年7月】
(写真上:メイエーさん宅での昼食、後ろには立派な家計図が見えます)
アルザスに行ったのは、これまでただの一度きり。マヴィに入社する前、ドイツ人の友人を訪ねていたおりに、一日(半日)ストラスブール見学に出かけただけだった。ストラスブールのかわいらしくて美しい町並みと、おいしかったアルザス料理の晩ごはんくらいしか記憶に残っていない。だから、どれもこれもおいしいマヴィワインの中でもひと際エレガントで、洗練度の高いメイエー家に訪れることができるのはいつのことか・・・と心密かに狙っていた。「本当に願ったことは必ずかなう」というのは、私の信条のひとつだけれど、またこの願いも昨年夏、無事達成されることになった。
2006年7月初旬。温暖化を肌で実感できる暑い暑い日、ストラスブールの駅に降り立った。そこで、マヴィスタッフ全員が大ファンの赤坂のフレンチレストラン「オゥ レギューム」の五十嵐夫妻、従業員のSさん、お客様のNさん、そしてまたこれがすばらしい出会いとなった広尾のフレンチ「エパヌイ」の進藤シェフと合流。そう、今回のアルザスはこの二人のすばらしい料理人と一緒なのである。
ストラスブールでレンタカーに乗り込みいざ出発!・・・のはずが、車の様子が何やらおかしい。挙句の果てには煙がモクモク――すったもんだのあげく、結局別の車に乗り換えることになり、気を取り直してようやく出発となる。アルザスの道は美しい。特に7月は緑濃く、本当にすばらしいけれど、いかんせんこの土地は言葉が難しい!アルザス語はフランス語よりもどちらかというとドイツ語に近く、標識1つ読み取るのも簡単ではなくなってしまう。目的のベルゴルツ村に行くのに、大幅に行き過ぎてしまったり、戻ったりの繰り返しで、さっき電話したときは「じゃああと15分くらいで着くわね。」と言われたところから、なんと1時間15分くらいかけて、待たせに待たせて到着したのだった。
既に14時を回っていたというのに、食事をせずに待っていてくれたメイエー家の皆さん。お父さん、お母さん(70代)、そして息子のフランソワとシルヴィー夫妻。この二人はともに長身ですらっとした美男美女だ。二人の間に、ジュリー(2006年当時13歳・女)、グザビエ(同9歳・男)、サラ(同7歳・女)という三人の子供たちがいる。三人ともご両親の血を引いて、とにかく背が高くて足が長い!見た目は実際よりも年上に見えるけれど、話し始めると子供らしさあふれるとても気持ちのいい子供たち。
(左から)お父さん、お母さん、フランソワ、シルヴィー、ジュリー
「ともかくよく来た、お腹がすいただろう。」と早速食堂へ案内いただく。フランスではとてもポピュラーな赤のギンガムチェックのテーブルクロスがかかったなが~いテーブルが用意されていた。まずはクレマン ダルザス ロゼがグラスに注がれる。朝から車の調子がおかしかったり、何度も道に迷ったりしてようやくたどり着いただけに、この至福の飲み物で迎え入れていただいのは本当にありがたい限り。少し緊張気味だった皆さんもすっかり打ち解け始めた。
そこで用意され始めた料理のすごいこと!
お母さんのいとこが仕出屋さんを営んでいて、そこからご馳走を取ってくれていた。サーモンとりんご、シブレットのマリネ、スモークサーモンとしょうがのマリネ、ローストビーフ、鴨のロースト、サーモンの白ワイン蒸し3種類のソース、サラダ多数、まさに旬のメロン、などなど。ビックリしたのは金ぴかにコーティングされた台に、料理の盛られた金ぴかの舟が浮かべられ、スイッチを入れると水がくるくる循環するという懲りよう。ドライアイスで煙こそ出なかったけれど、まるで披露宴のようなおもてなしぶりに一同感激!
食べても食べてもなくならないと思えるほど、ふんだんな量に会話も弾む。そこで出されたのは、ゲヴェルツトラミネールとピノ グリ。というのも、こういう冷たい料理のビュッフェにはゲヴェルツトラミネールがばっちり合うからだそう。お母さんはさらに、スパイスの効いた料理(必ずしも辛いという意味ではなく、スパイシー)にもゲヴェルツトラミネールは合うのよ、と話してくれる。「このワインは何と合いますか?」と面と向かって質問するよりも、こんな場面の方がずっとスムーズに答えが引き出せる。これはおいしい食事とワインの魔法だなあ。
これで終わらないのがフランスの食事で、続くはチーズ。この地方で一番いいチーズ屋さんから取り寄せてくれたとのことで(モルビエ、コンテ、フルムダンベール、シブレットが周りについたフレッシュのシェーブル、ハート型のヌーシャテル)、どれもバッチリの食べごろ。そしてもちろん、デザート!ヴァシュラン(フランスではポピュラーなデザートのひとつで、リッチなバニラアイスにメレンゲ菓子が入ったもの)の変形版でマンゴーとフランボワーズのシャーベットが2つの層になったアイスケーキ。すごく暑い日だったので、みんな大喜びだった。
食事時に盛り上がったのが折り紙で、突如日仏文化交流の開始となる。特に7歳のサラちゃんはもう夢中。折り紙とは日本人の独壇場かと思いきや、さすが(?)メイエー家の次期当主ですばらしいワインを生み出す腕をもつフランソワは折り紙でもいい腕を持っていた!お尻の部分を押すとピョンと飛び跳ねるカエルを大小作成してみせて、子供たちの尊敬のまなざしを得ていた。
(左)ちょっぴりはにかみ気味のグザヴィエ、(右)得意満面のサラ
一同お腹が大満足したところで、本来の訪問の目的を思い出し、カーブと畑を案内いただく。一家の性格をそのまま反映するかのように、道具は実に整然と並べられ、すごく清潔。タンクはステンレスと木の両方を用いていて、ワインに応じて木のタンクで寝かせておくワインもいくつかあるそうだ。けれども、ピノ ノワール以外は木の味が出すぎるのを避けるため、絶対に長くはおかないというのが秘訣らしい。ただピノの場合は少し期間が過ぎてもそれがまろやかさにつながったりするので、例外なのだとか。
ビオディナミ農法を実践しているメイエー家では、ビオディナミならではの道具もあれこれ見つかる。水を渦状に回転させるための道具やイラクサを煎じた液が作ってあるタンクなど。外に出ると堆肥の山も見つかった。ビオディナミでは、農場内で完結するというのが理想形とされていて、農場内に動物などを飼って、その糞とわらや植物の廃棄部分などを利用して堆肥を作る。メイエー家の場合、食用のうさぎを飼っているが、堆肥用には近所で飼っている牛の糞を利用しているそうだ。畑に山になっていたのは、14ヶ月くらい経過したものだったが、すっかり分解されて土の匂いになっていた。
ここで聞いた、メイエー家らしいエピソード。参加者の一人が、例えばあのかわいいうさぎを見て、サラちゃんは「かわいそう」とか言わないの?と質問した。すると、子どもはそういうものだとわかっている(うさぎは食べるために飼っている)という答えが。ある日金魚を買って来て、その金魚がそもそも家に着いたときから元気がなくて、案の定2日後に死んでしまった。それを見て「どうすればいい?」と聞くので、「猫が食べるよ」というと、子どもは死んだ金魚をもって、猫のところに持って行った。偶然その猫が1週間くらい後に死んで、そのときもやはり子どもは「この猫はどうするの(どうなるの)?」と聞くので、堆肥と一緒にするといいよと答えると、おじいちゃんと一緒に堆肥の山に持って行った・・・という話を聞かせてくれた。小さい頃から、物質は循環しているのだ、ということを自然に感じ取りながら暮らしているようだ。
ブドウ畑にたどり着く前に、またみんなの目をひくものが。家庭菜園と果樹園だ。この時期アルザスは春に花が咲く果物が次々と実っている。さくらんぼ(いわゆる普通の赤いさくらんぼに加え、なんと白いさくらんぼが。初めて目にしたけれどすごい美味)、プルーン、りんご、洋ナシ…ああ、さっき食べたばかりだというのにこんなにおいしそうと思う私って。それにしてもここの子供が本当にうらやましい。季節になれば、いつでももぎたてのフルーツが食べられるのだから。
誘惑を振り切って、何とか畑に向かう。途中フランソワははいていた靴を脱いで裸足になった。「小さい頃からずっと、畑を歩くときは裸足だったから」なのだそうだ。裸足のフランソワと質問に丁寧に答えてくれるお父さんとともに、ずんずん歩いていく。メイエー家では、草(雑草)は刈って、きちんと耕す。耕してあるから雨の後はぐちゃぐちゃになるので、すぐ畑に入れないそうだ。オーガニックでない他の畑も同様に草は生えていないけれど、それは除草剤を撒いた結果で、耕してもいないので、土がカチカチ。メイエーさんの畑は歩くと感激するくらいやわらかい。メイエー家のあるベルゴルツ村にはブドウ農家が9軒あるけれど、オーガニックはメイエーさんだけ。メイエーさんを含む3軒がワイン造りまで行っていて、残り6軒は共同醸造所(Cooperative)にブドウを売っているそうだ。
正面の斜面になっている畑を指差しながら、あれがグラン クリュの畑だよ、と教えてもらう。グラン クリュの畑は下でもなく上でもない、まん中あたりに位置する。品種別の畑の位置はというと、大体下の方がシルヴァネールやピノブラン、中腹あたりがゲヴェルツやピノ グリを植える場合が多いそうだ。土壌の質がそれに向いているというのが理由。
収穫は通常14人で行っているそうだ。アルザスは手の収穫が義務づけられているわけではないけれど、メイエー家ではずっと手で行う収穫にこだわっている。ここアルザスの場合、大部分が白の品種とはいえ、全7品種を育てている彼らには、収穫時期のずれが大きいだろうし、それをすべて手でやるというのは恐らくかなり大変なことに違いない。しかも、ブドウの質がいい年にだけ造る高貴な甘口ワイン、ヴァンダンジュ タルディヴなどは、少なくとも11月半ばくらいまでは収穫せず、12月になるときももちろんあるらしい。アイスワインのように凍ることまであるそうだ。それをすべて手摘みで。想像するだけでも労力を要することがよくわかる。
道を歩いていると、ふとお父さんがお隣の畑の葉っぱを見せてくれた。ベト病にかかっているそうだ。「病気に対して農薬を撒かないオーガニック農家の方が、病気にやられやすいように思うかもしれないけれど、一般の農家のブドウもやっぱり病気になっているんだよ。」と話してくれる。
メイエー家はお父さんの時代、1969年にオーガニックに転換したパイオニアの一人だ。きっと農薬を撒かないことで、周りからメイエー家のせいで病気が蔓延するだの、虫が来るだのそれはいろいろ言われてきたことだと思う。私への説明は、決して農薬で病気がなくなるわけではないんだ、ってことを伝えたかったんだろうなあと思う。すごい家系図が示すとおり、メイエー家は1620年からずっと続くワイン農家。その脈々と続く歴史が、きっと本来の農業をしなくちゃだめだよ、これからもずっと続けていくにはこれなんだよ、とお父さんにメッセージを送ってきたように思えてならない。
カーブと畑を一回りしたあとは、試飲タイム。マヴィで取り扱っていない、シルヴァネールやピノ ブランを含め、2種類のグラン クリュ、ヴァンダンジュ タルディヴまで実に8種類も!
気づけば、もう夜7時。あっという間の5時間だった。記念撮影を済ませたあとは、名残惜しく、後ろ髪を引かれつつも、本日の宿泊地に向かう。多くを語らないけれど、お父さんもフランソワも、本当に誠実で、自分の作品に絶対の自信をもっている。もっとじっくり話がしてみたかったなあと思う。
その夜レストランで、フランスで数年間修行をした経験もある二人のシェフが語った言葉が耳を離れない。本当にマヴィの造り手さんのもとに案内してよかったと心から思えた瞬間だった。 その言葉とは
――フランス人やフランスという国がこんなにすばらしいとは知らなかった。また戻ってきたい。――
レストラン修行時代は、やっぱり辛いことが多くて、フランス人の嫌な部分ばかりが目に付いていたらしい。きっとどちらのフランスも現実に存在するのだけど、田舎のしかもオーガニック農家を中心に訪問を続けている私は、そんな嫌な人たちに会ったことがないどころか、誰と出会っても感激したり、うなってしまうほどステキだったり、また必ず再会したいと思う人たちばかりだった。
メイエー家も、こんな私のラッキーな出会いコレクションに傷をつけることはもちろんなく、ただ再訪願望リストだけがまたさらに長くなった。
レポート:2007年7月(長谷川)
アルザスの魅力(コラム)
マヴィでアルザスといえば⇒奥野。彼女は、ワインを勉強するために1年間フランスに留学。その間、南フランスに滞在していたのですが、3ヶ月間サーヴィスの研修をした(つまり、フロアで働いた)レストランは、アルザスにありました。夏のすばらしい時期に滞在し、美しき良き思い出も多々あるよう。そんな彼女に、アルザスの魅力について語ってもらいました。
アルザスは、ドイツと国境を接しているし、領地争いで何度かドイツ領になったという歴史的背景もあり、 家の外観や料理、食事など、どれをとってもドイツ色が濃い。
アルザス人の気質は、よくドイツ人にたとえられるが、本当にその通り。きっちりしてまじめな性格の人が多い。ごみを種類別に分けて出すという所にもドイツ人っぽさが伺えた(アルザスに行く前に滞在していた南仏では 見かけないことの一つだったので驚いた)。
名字もドイツっぽい、長くて発音の難しいものが多く、外国人の私には聞き取るのが非常に難しかった。 ただ、マヴィのメイエーさんと同じく、Meyerという名前の人が、日本で言う鈴木さんや田中さんくらいの 割合でいらっしゃって、当時レストランでサーヴィスの研修をしていた私は、電話でご予約の名前を聞いた時に「Meyer」さんだと言われると「やった、ラッキー」と思ったもの。難しい名字の方だと聞き返しても、つづりを聞いても分からず、カタカナで音を拾って電話を切った後に 同僚に聞くしかなかった…。
そして、とにかくワインとビールがおいしい。
ドイツが近いだけあって、注文の時に「とりあえずビール」をオーダーする人が多い(これは日本人にも似てますね)。レストラン内のバーカウンター担当が回ってくると、居酒屋でバイトをしていたときを思い出した(団体さんにビールを頼まれると、誰か一人はビールサーバーの前に張り付いて生ビールを入れる)。
結婚式で振舞われるもの、パーティーで飲むもの、レストランやバーのワインリストにあるものは、アルザスワインが主流。日本ではアルザスワイン=価格が高いというイメージがあるが、現地では食前酒の段階からアルザスワインを楽しむ人が多い。当然のことだが、アルザスワインは郷土料理とも非常によく合う。
食後はアルザス語で“シュナップス”と呼ばれる「マール」(アルコール度の高いぶどうの粕取り焼酎)でしめることもしばしば。この“シュナップス”に角砂糖を浸して食べる人もいる。…デザートの後にコレをボリボリ何個も食べる強者もいて、驚き。
このアルコール度の高い“シュナップス”を「消化を促す」為に飲むと言うが、「消化を助けるものが必要なぐらい食べなければいいのに…」と初めて聞いた時は思った。アルザスでは、店にもよると思うが、一般的なレストランで出てくる料理は一皿一皿のポーション(量)が本当に大きいので、アルザス滞在の初期は胃薬の登場回数が多かった。…ただ、恐ろしいことに私の胃はこの量と生活にぴったりマッチしてしまい、1ヶ月もするとみんなと同じような量を食べてからみんなと同じように“シュナップス”でしめることを習得してしまった。。。
アルザスの郷土料理の一例
!ご注意!おいしいものが多いけど、量が半端じゃなく多い
前菜として
ビバラカス | みんな大好き。薄く切って、トーストしたパンに乗せていただく事が多い。 |
---|---|
フォア・グラ | 300円(税抜) |
タルト・フランベ | 薄い薄い釜焼きピザ。具はシンプルに玉ねぎとベーコン、フロマージュブラン[牛乳を固めたチーズ。チーズだけどヨーグルトに近い]。とりあえずメインの前にこれをオーダーしてビールと共に楽しむ方が多かった。 |
メイン
シュークルート | キャベツの酢漬けとフランクフルト、ベーコンを煮込んだ料理 |
---|---|
ベックオフ | 白ワインに漬け込んだ豚肉や牛肉をジャガイモと共に蒸し焼きにした料理 |
コック・オー・リースリング | 鶏肉のリースリング煮込み |
デザート
クグロフ | ドライナッツやレーズンのたっぷり入ったパンみたいなお菓子。専用の型(「クグロフ型」という)に生地を流し込んで焼いたもの。適当に切って朝食やおやつにいただいたり。小さめに焼いたクグロフを凍らせて、くぼみに“シュナップス”をかけたデザートもある。 |
---|
アルザスに行って驚いたのは、食事の量が多いことの他に、この土地特有の方言が難解なこと。噂には聞いていたけど、実際話してみると全く理解できず、始めはどうしようかと思った。ただ、日本人、というかアジア人がいること自体、珍しいような小さな村にいたので、皆なるべく分かりやすいフランス語で接してくれた。本当に親切な方が多かった。
ここに行く前は南仏で語学勉強をしていたので、私の話すフランス語に“南仏弁”の訛りがあったらしく、こんな方言の強い人たちから「あなたのフランス語、訛ってるぅ~」と明るく何度となく言われてしまったが、現地の人たちと3ヶ月過ごした後、私のイントネーションには“南仏弁”に“アルザス弁”が上塗りされて、更に何弁か分からない、得体の知れないものとなった。
不思議なイントネーションを習得したうえ、すっかりアルザス生活が気に入って大食漢となったツケとして、体重はラクラク3キロアップ。いろんな意味で実りのある(!)滞在でありました。
レポート:奥野